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戦後の花巻演劇事情

 戦後の荒んだ世相の中で、花巻には「花巻賢治子供の会」の子供劇団が誕生し、また花巻の若者が中心になった[新劇会]があり、花巻の中央座で公演しおりました。昭和三十年頃、青年会が中心となって演劇活動を盛んに行われて、その後桜町に[白い鳩]劇団が誕生し、昭和三十三年に花巻中央公民館が建設され、それを契機に[劇研はなまき]が結成し、また花巻南高校の演劇部OBが中心なったに[劇団青い鳥]や、後に[稽古場]と改名した[劇団 灯]も生まれた.当時花巻は、演劇愛好者が多かった。

 昭和50年に文化会館がオープンし、また県内各地に市民劇場設立の気運が生まれいった。昭和52年3月14日に市民150人の参加による「にっぽんの青春花巻市民劇場として初講演され、以来公演は34年に及び延べ5,600人の市民の参加を得ている。石鳥谷町民劇場が旗揚げしたのは昭和五十四年五月。 県内の住民の手づくり舞台は、五十一年の遠野市を皮切りに始まり、翌五十二年花巻市、五十三年に北上市でスタートした。これに続けとばかりに産声を上げた石鳥谷町の創作舞台は、県内では四番目、町村では最初だった。第一回公演以来、町のシンボルの花や鳥、伝説や昔話、町の特色を生かした南部杜氏(とうじ)、自伝をシナリオにしたりと題材はバラエティーに富む。昨年三月公演の最新作は、異色の現代劇に挑んだ。 毎年開催してきた町民劇場は第六回公演以降は隔年での開催となった。産みの苦しみ、さまざまな障害を乗り越え、二十年間で十三作。実行委員会は、町民劇場の盛り上がりが地域文化の向上と地域活性化のあかしとして、一つの舞台に力を結集し、平成11年2月岩手日日文化賞受賞する。

また、昭和55年頃には石鳥谷町に「劇団いっぷく」、52年に合唱を主体にした賢治ファンタジー生まれた、同じ頃牛崎静子主宰の「劇団らうす」が主に賢治の作品を精力に発表活動し平成22年賢治イーハトーブ賞を受賞。

昭和61年には花巻市に「ZENT—YOYO—CLUB」が生まれ、平成15年には、東和町に「劇団よくまんづ東和町」設立され、平成21年に「劇団★星鴉」が結成された。

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花巻市民劇場の歩み
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